この前、数年ぶりに旧友と会った。
2人で開く、小さな同窓会。
長いこと連絡を取っていなかったけど、「久しぶり」とLINEを入れてあっという間に会う段取りがついた。
LINEやその他のSNSで、僕らは簡単に繋がれる。数年来の友人とも、場合によったら知らない人とも。
ところで、その友達がぼやいていた。
「元恋人にLINEをブロックされちゃったんだよね」
なんでも、別れた恋人のことが忘れられず、定期的にメッセージを送ったり、スタンプをプレゼントしたりしていたら、LINEをブロックされてしまったらしい。
色々とツッコミたくなったのを我慢して、友達を慰めるモンガラくん。
慰めながらふと考えた。僕らはSNSで簡単に繋がれるけど、その繋がりって案外簡単に切れるものなんだな。

LINEブロックをしたこともされたこともないモンガラくんだけど、もし友達にブロックされたらと想像してみる。シャッターを下ろされてしまったような感じなのかな。こちらでどんなに叫んでも、その声は相手に届かない。
ブロック自体は、必要な要素だと思う。見知らぬ人や迷惑業者から自分のアカウントを守るためにも。
でも、自分の知っている人にLINEをブロックされたらと思うと、悲しい。
モンガラくんの友達の話は状況も状況だし、相手が悪い!とも言い切れない。
でも、せっかく知り合った人にシャッターを下ろされて、その扉がもう開かないとしたらなんだか息苦しく感じる。
「もう連絡を取り合うのはやめよう」とか伝えることもなく、淡々とブロック。
迷惑業者にするのと同じように、仲が良かった友達をもワンタップで切り捨てる。
それが今の時代のやり方なのかもしれない。モンガラくんは時代遅れの頑固者なのかも。
でも、なんだか寂しくなって、酔った勢いで友達にまくし立てた。
「網の目のように張り巡らされたSNSによってあらゆる人と繋がれるようになった一方で、人と人との関係性は希薄化しているのではないか」
さっきまで友達を冷めた目で見ていたモンガラくんが、いつの間にか今度は冷ややかな視線を向けられている。
あんまり調子に乗ると、モンガラくんが友達からブロックされてしまいそう。
子どもの頃、糸電話で遊んだ記憶がある。
糸電話だと、糸の届く範囲の相手としか話せない。
今僕らが使っているSNSは、ずっと遠くまで糸が伸びる糸電話。そして、誰とでも簡単に繋がれる糸電話。
でも、その糸は何かのはずみであっけなく切れてしまう。僕らが思うよりずっと簡単に。
そして、一度切れてしまった糸の切れ端は、雑多な世界の中に消え去ってゆく。
飲み屋の席で向かい合っているモンガラくんと旧友との間にある糸電話は、旧式の糸電話。
糸は古びて細くなっているけど、切れることのない双方向のコミュニケーション。
相手に声が届いている、ちゃんと返事を返してくれるという安心感は、オールド・タイプの糸電話ならでは。
時代錯誤なモンガラくんが、現代的な糸電話を、例えばLINEのブロック機能をうまく使いこなしていけるかはわからない。
でも、昔ながらの糸電話を重用しよう。
向かい合って話す時間を大事に過ごそう、何年ぶりでも変わらず話せる友達を大切にしてゆこう。
お酒が進んで赤くなっていく友の顔を見ながら、酔っぱらった頭でそんなことを考えた同窓会だった。